江戸の黒豹党

孤独なお爺ちゃんの寂しい日常を覚え書き程度に綴る

昔を思い出せるうちに己の映画遍歴を辿っておく【爺の昔話①】

いっけね、久々に『CB4』を観てたら、90年代にブラックシネマにハマってた若いころを思い出して一人でアツくなってきた。そもそも、このブログを始めようと思ったキッカケは観た映画の感想とかを書き溜めておくためだったけど、コロナ禍でインバウンドが居なくなり拙者的に突然の浅草ブームが来て、そのことを書き連ねた浅草ブログみたいになってしまった。ブログタイトルの由来は、お察しの通り杉さまの時代劇曲「江戸の黒豹」と黒人主義政党ブラックパンサー党を掛けており、取り扱う記事としては日本の時代劇アメリカのブラックシネマもイケるブログにする予定だった。ええ、拙者は東京都内在住の黒人文化カブレの日本人ですから。

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もう一度映画館で観たい

小学生のころは親からお小遣いを貰ったことがなく、親類から貰ったお年玉も親に上手いこと言われて巻き上げられていた。しかし、拙者には逃げ道があり、少し離れた隣町に祖母が住んでおり、放課後は「おばあちゃん家で晩御飯を食べる」と言って祖母宅に行き、お小遣いを貰っては駄菓子屋やゲームセンターなどで遊んでいた。祖母宅に同居する叔母が商店街の組合事務所で長年働いており、中学のころから「親戚の手伝い」と称しては商店街の催事などでアルバイトをさせて貰った。初アルバイトは「プレゼント応募はがきの選出」という極めて簡単な作業だったけど、ちょっとしたいいお小遣いにはなった。勿論、基本的に中学生はアルバイトしてはいけないものだけど、親からお小遣いが貰えずミジメだった小学生時代とは逆に中学生時代は自由に使えるお金があった。最初はゲーセンばかり行っていたけど、商店街の中には映画館もあったので、その頃から映画館へ行くようになった。年代は1989年ごろだったと思う。自分の意志で初めて観た映画だったかどうかわからないけど劇場で観たティム・バートン版のバットマンが印象的だった。当時はボーリング場やゲーセンなどにLDビデオジュークボックスなるマシンが設置されており、マシンに500円投入して選曲すれば、MTV時代に大流行した洋楽などのミュージックビデオを娯楽施設中のモニタ画面とスピーカーで再生でき、その中でもプリンス殿下のミュージックビデオ「バットダンス」が人気で映画公開前からよく再生されており、それまで映画なんてテレビでしか観たことなかっような拙者も映画『バットマン』を観たい欲が高まっていた。そのあとも男友達数人で『プリティウーマン』を観に行ったり、初デートで『レナードの朝を観たけど相手のことが気になり過ぎて映画の内容を全然覚えていなかったり、腐れ縁の悪友と二人で『愛人 ラマン』を観に行ったり、ハリソン・フォード主演の推定無罪』を一人で観に行ったら内容が難しすぎて寝たり、とか1990年辺りが拙者的に第一次映画ブーム期だったんだなぁと思い起こせば今でも割と覚えてる。

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今年で30周年

映画にハマり始めたのと並行して音楽も洋楽を好み、元々なんとなくロックを聴いていたけどテレビ神奈川の洋楽番組「ビルボードTOP40」のおかげで、世間で流行ってる歌謡曲やロックとは異なる音楽としてヒップホップやR&Bに目覚め、手始めにパブリックエネミーランDMCなどを聴くようになった。アメリカでは映画の公開前にサントラ盤が出ることが主で、1991年にビルボードTOP40番組内でとあるサントラ盤のシングルカットEPが何曲もチャートインし、その曲らに拙者は心奪われた。当時からアメリカ製の輸入盤CDが地元のレコード店で販売されており、そのサントラCDを一目散に買って聴き映画の公開を待った。その頃は映画館に慣れ、観たい上映作品によって地元のあちこちにある数軒の劇場へ出入りするようになっていたものの、嬉しいことにその映画は一番最寄りである叔母が務める商店街の劇場での公開だった。普段からサントラ盤を何度も聴き、ワクワクしながら映画を観に行ったら、なんと観客は拙者一人であった。そんなに大きくないスクリーンだけど、貸し切り状態で観たその映画は内容がとても衝撃的で、のちの雑誌情報によればアメリカでの公開後に暴動が起きたとして話題になっていた。観終わったあとも興奮冷めやらぬ感じでパンフレットを買って帰り、しばらくは毎日その映画のことで頭がいっぱいだった。半年ぐらいしてビデオソフト化され、LDソフトも価格破壊のブロックバスター価格4700円で販売された。そのLDソフトが欲しくて欲しくてたまらず、アルバイト代を貯金して一番安いパイオニアの廉価CLDプレーヤーとそのLDソフトを買い、親戚の叔父からロータリーチャンネル式の古い14インチテレビを無理やり強請って貰い受け、朝起きて学校へ行く前の身支度の間に流してBGVにするなど何度も何度も観た。おそらく、拙者の人生で一番好きな映画で、ブラックシネマにハマるキッカケとなった映画。そのタイトルは『ニュージャックシティ』と云い、1991年6月の日本公開から今年で30周年を迎える。今のところ日本版はDVDしか発売されていないけど、本国ではブルーレイも発売されている。近いうちに久々に観直して現在感じた感想をブログに書き残しておきたいと思う所存。そして、あの頃はまだ知らなかったブラックスプロイテーションと呼ばれるジャンルの映画作品をあの頃のように堪能してゆきたい。現代は、大画面テレビやホームシアターシステムを手軽に買い揃えることができ、安価なBDソフトやサブスクリプションサービスによる豊富な映画ソースを自宅で気軽に堪能できる、映画ファンにとってはとても幸せな時代。さらに、90年代ぐらいまでは判らないことだらけだった個々の映画作品にまつわる情報も現代はスマホタブレットを用いてインターネットで容易に調べることができ、リメイク元のオリジナル作品やシリーズ関連作品なども見つけやすくなった。コロナ禍で洋画の新作不足の現在こそ、旧作を観直したり調べて掘り起こしたりする絶好の機会かもしれませんえ。おわり

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映画もサントラも衝撃的だった

 ちなみにスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライトシング』は日本での公開当時に地元の劇場では上映されずレンタルビデオで借りて観た。PEの「Fight The Power」の12インチアナログ盤は1990年の時点で地元の輸入盤専門店で一万円を超えるプレミア価格だった記憶。